こんな経験はありませんか?
☑文章を書こうとすると言葉が出てこない。
☑話すのは得意なのに書くのは苦手。
☑自分の書いた文章が幼稚に思える。
この悩みを解決してくれる本をご紹介します。
『20歳の自分に受けさせたい文章講義』古賀史健氏著
※大ベストセラー「嫌われる勇気」を書かれた方ですね。
読後の感想
ウン十年前にこの本に出会っていたかった・・・。
仕事のプレゼン&職場のコミュニケーションがもう少し楽にできたと思う。
本書は、武器として一生使える”書く技術”の数々を、惜しげもなく披露してくれています。
全部をご紹介したいところですが長くなってしまうので、今回は私が特に感銘を受けた3点に絞ってお伝えしたいと思います。
ではさっそくいきましょう。
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書けるようになる方法①:自分の言葉で誰かに話す
・人から聞いた話
・本で読んだ内容
それらを誰かに話すのが良いようです。
なぜ人に話すと書けるようになるのでしょう?
答えは「3つの再」
①再構築=自分の言葉で話すことによって、バラバラだった内容を再構築し、理解が深まる。
②再発見=自分の言葉にする過程で「ああ、なるほど。こういうことだったのか!」と語り手の真意に気づく。
③再認識=自分がどこに反応し、何を面白いと思ったのかを再認識する。
書けるようになる方法②:たった2人の読者に語りかける
文章の先には当然読者がいます。
でも・・・
読者って誰?読む人みんな?
答えは「たった2人」
え~~? 2人って、いったい誰?
・
・
古賀氏の解説によると、
読者は①or②
①10年前の自分
②特定の”あの人”
実際にどのように書くのか、1人ずつお話ししましょう。
(1人めの読者)10年前の自分
あなたはこんな思いをお持ちではありませんか?
☑10年前に知っていたら私の人生は変わったかもしれない。
☑10年前に知っていたら、あんな苦しい思いをせずにすんだかもしれない。
☑10年前に知っていたら悩まずにすんだかもしれない。
思い当たることがあるなら、当時の自分に語りかけるように書くのです。
※注意!10年は目安にすぎず、半年前でも20年前でもOK!
どんな言葉だと心が動き、どう伝えれば納得するのか、手に取るようにわかるはず。
自然に筆が進む気がしてきませんか?
なぜ10年前の自分なのか?
今この瞬間にも、どこかに10年前の自分と似た状況の人がいるからです。
(時代や年齢など、置かれた状況に多少の違いはあるとしても。)
自分に語りかけるのですから、あなたの文章は説得力が増すはずです。
古典文学が現代でも読み継がれている理由ですね。
(2人めの読者)特定の”あの人”
老若男女さまざまな読者を想定して書く文章はダメらしいのです。
そう聞くとすぐに疑問が・・・
えっ?たくさんの人に読んでもらえる文章が良いんじゃないの?
この疑問に古賀氏は、納得!の答えをくれます。
10人の読者がいれば10通りの読み方があるわけで、それを”読者”という言葉でひとくくりに扱うのは非常に危険な考えだ。「読者の身になって」と言われても、老若男女さまざまな読者がいるはずだ。
そして対象読者を「20代の社会人」と絞り込んでも、事態は変わらない。
勤務先は大企業なのか中小企業なのか。勤務地は大都市圏なのか地方なのか。業種や職種はどうなのか。年収は、家族構成は、趣味は・・・・・。考えれば考えるほど、読者は細分化していく。かといって、一人ひとりの属性に合わせた何千・何万パターンもの原稿を書くわけにもいかないだろう。
(中略)
見えやすそうでいて、最も顔が見えにくいのが「多数派」なのである。
(中略)
むしろ”みんな”から喜ばれようとするほど、だれからも喜ばれない文章になるのだ。
(出典:20歳の自分に受けさせたい文章講義(古賀史健著))
なるほど。
たった一人の誰か、か。誰にしよう?
ポイント
自分の親を想定して書くのは悪くない選択だそうです。
「こんな文章で、うちのオカンは理解してくれるかな?」と考えながら書くと、あらゆる人にとって理解しやすい文章になるとのこと。
特定の誰か1人にむけて書くことによって、やさしく書けるのですね。
書けるようになる方法③:「なにを書くか?」ではない。「なにを書かないか?」である。
古賀氏はこう述べます。
「なにを書くか?」を考えてはいけない。
「なにを書かないか?」を考えるべきである。
これを読んで頭の中が❓だらけに・・・(混乱)
「なにを書かないか?」が大切な理由とは?
本書の中で分かりやすい具体例を挙げてくれているのでご紹介します。
たとえば、あなたが「高校生活を振り返って」というテーマで作文を書くとする。
このとき、「なにを書くか?」を基準に考えていると、どうなるだろうか?
「部活のことを書こう、文化祭の話も入れよう。そうそう、修学旅行も楽しかったし、あの先生の授業も好きだったな」と考え、そのまま書いてしまうのだ。
たしかに、楽しい高校生活を網羅した作文にはなるだろう。
しかし、読み物として考えたとき、はたしてその作文は読みやすく、面白いものになるだろうか?
残念ながら、そうはならない。
たくさんの話を並列で語られると、読者はどのトピックをどれくらいの温度で読めばいいのかわからなくなる。話のポイントがどこにあるのか、さっぱりわからないのだ。
(中略)
一方、「なにを書かないか?」を基準に考えると、作文の内容は全く違ったものになる。発想が”引き算”になるからだ。
部活や文化祭など、高校生活のさまざまなトピックを”元ネタ”としながら、「なにを書かないか?」を考える。
(中略)
こうして考えていった結果、「自分の高校生活にとって、部活と恩師だけは絶対に欠かすことができない」という結論に達したなら、そのまま書いていけばいい。読者にも「あなた」という人間が伝わりやすくなるはずだ。
こうして物事を”引き算”で考える作業は、最終的に「自分にとって大切なものはなにか?」「自分とはどういう人間で、どんな価値観を持って生きてきたのか」を考えることにつながっていくからだ。
(出典:20歳の自分に受けさせたい文章講義(古賀史健著))
ポイント
長い文章は思い切って削る勇気を持とう!
まとめ
古賀氏は断言します。
「いい文章を書くのに、文才などまったく必要ない」
さらにこう述べます。
これは文章に限った話ではない。
なにか夢を追う人、なかでも「自分に才能はあるのか」と自問自答している人が「自分には才能がない」となった場合どうなるのだろうか?
諦めの材料にしかならない。
はっきりと言っておこう。
自らの才能を問う人は”諦めの材料”を探しているだけだ。
古賀氏ご自身、大学で文学論を学んだわけでなく、ライター講座に通った経験もないそうです。
出版社に入社したもののすぐに辞め、以来フリーランスでライター活動をなさる過程で豊富な文章術をを身につけられたそうです。
諦めなければ可能性はだれにでも存在する
そんな勇気をくれたステキな本でした。
最後までお読みくださりありがとうございました。
※この記事では本書のホンの一部分だけをご紹介しました。
実際はもっと多くの技術が書かれています。
興味を持たれた方にリンクを張っておきます。