「これだけ軽やかに情けない話を書けるのは、すごい才能だ。」
ホリエモンが大絶賛されているのをYouTubeでみたのがきっかけで、興味津々で購入!
著者の麻布競馬場さんは、本の出版を親にも伝えていないそうです。徹底した覆面小説家なんですね。
⇩本書の概要はコチラ⇩
東京に来なかったほうが幸せだった?
Twitterで凄まじい反響を呼んだ、虚無と諦念のショートストーリー集。
「3年4組のみんな、高校卒業おめでとう。最後に先生から話をします。大型チェーン店と閉塞感のほかに何もない国道沿いのこの街を捨てて東京に出て、早稲田大学の教育学部からメーカーに入って、僻地の工場勤務でうつになって、かつて唾を吐きかけたこの街に逃げるように戻ってきた先生の、あまりに惨めな人生の話をします。」(「3年4組のみんなへ」より)
「『30までお互い独身だったら結婚しよw』。三田のさくら水産での何てことのない飲み会で彼が言ったその言葉は、勢いで入れたタトゥーみたいに、恥ずかしいことに今でも私の心にへばりついています。今日は、彼と、彼の奥さんと、二人の3歳の娘の新居である流山おおたかの森に向かっています。」(「30まで独身だったら結婚しよ」より)
「私、カッパ見たことあるんですよ。それも二回。本当ですよ。桃を持って橋を渡ると出るんです。地元で一回、あと麻布十番で。本当ですよ。川面から、顔をニュッと目のところまで突き出して、その目で、東京にしがみつくために嘘をつき、人を騙す私を、何も言わず、でも責めるようにじっと見るんですよ。」(「カッパを見たことがあるんです」より)
14万イイネに達したツイートの改題「3年4組のみんなへ」をはじめ、書き下ろしを含む20の「Twitter文学」を収録。
【推薦コメント】
面白すぎて嫉妬した。俺には絶対に書けない。
――新庄耕さん(小説家・『狭小邸宅』『地面師たち』)
【著者略歴】
麻布競馬場(あざぶけいばじょう)
1991年生まれ。
(引用:集英社公式サイト 集英社の本 この部屋から東京タワーは永遠に見えない)
『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』のあらすじは?(登場する20人の主人公たちを全員紹介するよ)
『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』は20のショートストーリーで構成されています。
フィクションなのでしょうが、現実味がありすぎてフィクションとは思えない・・・
読んでいて心がしんどくなる話ばかりです。
主人公全員が負け組!?
※以下ネタバレ有り
3年4組のみんなへ
大型チェーン店と閉塞感のほかに何もない街を捨てて東京に出て、早稲田大学教育学部からメーカーに入り、僻地の工場勤務でうつになり、地元に逃げ帰り、今は高校の教師をしている主人公。
今日は卒業式だ。教え子たちへの贈る言葉は・・・?
今年で30歳になります。何もない人生です。いや、訂正します。先生の性格の悪さ、頭の悪さ、そんないろんな、先生のダメなところのせいで、自分自身のせいで、人生という車のトランクに、先生は何かを残すことができませんでした。必死で走るそばから先生の荷物は次々と落ち、何も残りませんでした。
(出典:この部屋から東京タワーは永遠に見えない「3年4組のみんなへ」(麻布競馬場著))
30まで独身だったら結婚しよ
女子学院から慶應法学部へ進学した私。そこで出会ったダサい彼は、彼氏なのかセフレなのかわからない存在だ。そんな彼と「30までお互い独身だったら結婚しよ」と約束はした。
あるきっかけで二人の関係は終わりを告げ、大学を卒業。私は電通、彼はメガバンクに就職した数年後、友達に誘われて、結婚した彼の新居を訪れることになる。
一人の部屋に帰った私は、彼に裏切られ、取り残された感覚に一人苦しむ。
2802号室
僕は足が遅い。だが勉強ができたため、家族(とくに祖父)に期待されながら育つ。父も祖父も落ちた早稲田大学へ無事進学。卒業後はメガベンチャー企業へ就職した。
僕は祖父が苦手だ。自分の人生のやり残しを僕に期待し、良き孫であれという無言の圧力をかけるからだ。
こうして欲しい、こうあって欲しい。(中略)その期待が、あの頃の僕にとってものすごく息苦しかった。
孤独の本質的価値は、誰からも何も期待されないことだと思う。
(出典:この部屋から東京タワーは永遠に見えない「2802号室」(麻布競馬場著))
青山のアクアパッツァ
双子の姉は頭が良いが容姿は今一つ。医大を出て現在病院に勤めている。おにぎりみたいな顔の彼氏がいる。
一方、私は母に似て容姿に恵まれた。エリート商社マンの彼氏には振られてしまったが、今はネットで知り合った金持ちのパトロンがいる。
私たち姉妹の30歳の誕生日。姉は彼氏と二人で祝うと言うので、両親と私だけイタリアンレストランへ。両親にとっては贅沢な店だけれど、私はふだんもっと高い、会員制のレストランで食事しているとは両親には言えない。パトロンがいることはもちろん伝えていない。
食事中に姉からアクアパッツァの写真が届く。誕生日のお祝いに彼氏が作ってくれたらしい。皮は破れ、煮汁が茶色に染まり、ニトリのフライパンの中の鯛が無様で、まるで姉の人生のようだと私は思った。
真面目な真也くんの話
慶應で同じゼミの真也くんは恐ろしくマジメだ。朝から晩まで図書館に籠り勉強している。だが要領が悪く、ゼミでの発表はいつも長いくせに中身は今一つだ。
真也くんは人間関係も不器用で、卒業後、銀行に就職したけれど人間関係で失敗して休職、のちに退職した。その後プログラミングを学び再就職した先はブラック企業だった。そこも辞めて、今は怪しいオンラインサロンに高額な会費を払いながら、ただ働きさせられているらしい。
合理的に考えればすぐに辞めたほうがいいのだろうが、僕もゼミ仲間も真也くんには何も言わずにいる。
森から飛び出たウサギ
私は都内の短大を卒業して大宮の食品卸の会社で経理をしている。
友達に教えてもらったマッチングアプリで、東大卒ゴールドマンサックス勤務の人と知り合ってから、身近な男がみな価値がなく思えてしかたがない。
彼のことがいつも頭に浮かんでしまう。勇気を出して彼にメッセージを送ってみたが、いつまで待っても返信はない。
僕の才能
中学受験に失敗。高校は父の母校に行きたかったが偏差値が足りなかった。大学は推薦で明治に入った。
受験勉強中に描いたマンガで小さな賞をもらった。その続きを描いて出版社に送ろうとしたが、やっぱりやめた。
大学で軽音サークルに入ると、何度かセンスを褒められた。バンドを組んでオーディションをめざしたが、有能な下級生の演奏を見て、とてもではないが勝てないと悟りあきらめた。
マンガ・音楽など僕がやってきたことはすべて表現だ。今度こそ、今度は言葉で誰かを感動させたいと、就職は広告関係の会社に行きたかったのに、どこにも引っかからなかった。
いろんなことに手を出して、でも何も成し遂げられない僕。何物にもなれず汚いおじさんになってゆくだけなのか・・・・
ウユニ塩湖で人生変わった(笑)
高校のとき友達が「ウユニ塩湖に行ったら人生変わった」と言っているのを聞いた。なのでコツコツお金を貯め、安い飛行機を乗り継ぎ、安宿に泊まり、ようやくたどり着いたウユニ塩湖は大きな水たまりにしか見えず、2分も経たずに飽きてしまった。
人生は変わらなかったが、人生観は変わった。退屈な毎日に何も期待を抱かないようになった。自分のありのままを肯定できるようになった。すがすがしい諦めの人生だ。
高円寺の若者たち
おれには早稲田の文構で知り合った彼女がいた。彼女は東京出身のお嬢さまだけれど、田舎者で貧乏なおれとの付き合いを楽しいと言ってくれた。夜中の高円寺でラーメンを食べたり、バイト代が入ればゴールデン街に飲みに行ったり、お金はなくても幸せだった(はずだ)。
おれは就職に失敗。彼女は父親のコネで財閥系へ。そのころから距離ができ始めたのを感じておれは焦った。安い指輪を買ってプロポーズしたら、彼女にドン引きされた。その後連絡がつかなくなった。
執念で見つけた彼女のインスタで、今日の11時からパレスホテルで、慶應卒の同期と彼女が結婚することを知った。だからおれは今からパレスホテルへむかう。彼女はおれを見てどんな顔するかな。楽しみだな。
大阪へ
東京で生まれて、親の仕事の都合で中2から大阪へ。転校の挨拶で標準語を話したらクラスメートたちに笑われた。大阪になじめず、大阪を見下しながら暮らした。君が文化祭で漫才をやろうと誘ってくれたときも素直になれなかった。君が純粋な優しさから苦しむ僕に手を差し伸べてくれたと今ならわかるが、そのときの僕には理解できなかった。
自分の居場所は東京だと信じ、大学は慶應へ。そこで自分のイントネーションが濁っていると笑われた。東京にも拒まれたような気がした。大学でも友達らしい友達はできず孤独だった。
広告業界に就職したが、そこでも社内外のコミュニケーションがうまくできなかった。
大阪を見下し、君を見下し、東京に戻っても自分より書くのが下手な人を、それでいてコミュ力で仕事を取る人を見下し、僕より立派なものを書いて賞を取る人は見て見ぬふりをして、何か理由を付けて自分のかわいい自尊心に傷が付かないようにする。それを繰り返した末路が、僕のこの惨めな現状なのです。
(出典:この部屋から東京タワーは永遠に見えない「大阪へ」(麻布競馬場著))
大阪から
君が東京から転校してきたとき標準語を話すのを見て、俺は「芸能人やん」とツッコんで君に無視された。以来、何度話しかけても嫌そうな顔でかわされた。当時の俺にとって東京というのはテレビの中の世界で、すばらしいのは大阪だと思っていた。だから君が大阪になじめない原因は君自身にあるのだろうと、君のことを見下していたのかもしれない。君に謝りたい。
大阪の大学を出て、人材大手の会社に就職し、東京本社に転勤を命じられた。初めての東京には大阪では見たことないような優秀な人たくさんいた。俺は使いものにならず、東京本社を追い出された。大阪に戻ると、愛する地元が昔とは違うふうに見えた。
もしかすると君の目には、最初から大阪がそんなふうに見えていたのか?人には人の苦しみがあるように、その街にはその街にしかない苦しみがあるのかもしれない。東京から来た君は、君にしか見えない苦しみを抱えていたのかもしれない。
お母さん誕生日おめでとう
両親が離婚し、私は母に引き取られた。生活のために母はホームセンターでパートを始めた。ボロいアパートに引っ越した。
母は教育ママに変身。私は勉強ばかりさせられ、マンガもゲームも許してもらえなかった。そのおかげか、地元で一番の公立高校からお茶の水大に進学した。
いざ入学したお茶の水大には自分のような苦学生はいないと知った。いいとこで育った美人が多かった。どこかサークルに入ってみようと思ったが、やりたいことが何も浮かばなかった。
今年で30歳。飲食店情報サイトの営業をしている。飲食店に興味があったわけではなく、就活難易度ランキングで上位だったから選んだ会社だ。母からは月々数万の仕送りを要求されている。実家には何年も帰っていない。振り込みを止めてみたら母から電話がたくさん来るので着信拒否をした。
人生の空虚を私で埋めようとした母。
空虚を引き継いだ私。
何ひとつ自分で決められない私のこの人生は、狂気的な教育ママのせいなのか?もし母がいなかったら私の人生はどうなっていたのだろうか?
母にどんな感情を持つべきか?母のことを考えると呼吸が苦しくなる。
Wakatteをクローズします
静岡の国立大学在学中に起業ブームが起きた。友達と3人でビジネスを始めようとしていた。しかし僕抜きの2人だけで起業してしまった。当時は地方発のスタートアップということで、話題になった。
僕は起業をあきらめ就活することにした。就活中にお台場で開かれた合同説明会に行くと、隣のホールでベンチャー企業関係のイベントをやっていて、僕をのけ者にして起業した彼が、ベンチャーキャピタリストとしてもてはやされていた。
そこで突然僕の頭に事業アイデアが浮かんだ。若手社会人と就活生のOBOG訪問マッチングサービスWakatteの始まりだ。
事業はしばらく順調だったが、アプリを利用中の男性ユーザーによる性暴力が露呈した。自分の作ったサービスは、結局のところ、女子大生と出会いたい若手社会人男性と、それを承知でもOB訪問をしたい女子大生のマッチングサービスの様相を呈していたのだ。僕も会社のみんなも投資家たちも、実はその事実に気づいていたのに見ないふりをしていた。最悪の形でWakatteは閉鎖された。
吾輩はココちゃんである
吾輩は猫のココちゃん。飼い主の美幸と二人暮らしである。美幸は栃木出身で30歳。慶應を出て今は人材会社で働いている。美幸という名前とは裏腹に、ブスだ。同じ名前の同級生は美人で、よく比べられた。
美幸に初めてできた彼氏はモラハラ気質で、結局別れた。別れた翌日に、美幸は吾輩を買った。美幸は酒を飲みながら、吾輩に苦悩に満ちた人生を語りかける。学歴も仕事もお金も手にし、傍から見れば十分満ち足りて見える彼女の人生。吾輩さえいれば幸せだと美幸は言う。だから今日も吾輩は美幸に寄り添い、美幸が幸せだと思えるように、ふわふわの毛で温かさを与える。
うつくしい家
僕は四国の田舎出身。親はちょっとした地主で、裕福に育った。母は僕が美大に進むことを期待していた。子どものころからお絵描き、歌舞伎、美術に触れさせられた。一方でポケモン、マンガ、みんなと同じランドセルなどは持つことを許されなかった。
大学進学で実家を離れ、東京での生活が始まった。東京でいろんなものを見て、いろんな人と会って、結果気づいたのは、うちの実家は結局は田舎の文化人気取りに過ぎなかったということだ。東京には、本物の文化人で、文化資本に囲まれ育ってきた人がたくさんいた。
久しぶりに実家に帰った。家に入った瞬間、カレーのような臭いがした。窓を開けても、部屋着に着替えても、その匂いは消えない。僕の皮膚に臭いが染み付いているのかもしれない。
希望
妻が家を出ていった。父子二人の生活になった。ひとりむすめの希(のぞみ)は中学から引きこもっている。一時期アイドルグループのメンバーとして活動をしたこともあったが、スキャンダルがきっかけとなってグループは解散、再び引きこもりになった。
今日は希の結婚式だ。父である私は末期がんですでに亡くなっている。会場には父の肉声のメッセージが流れている。この日のために生前録音していたのだ。
この部屋から東京タワーは永遠に見えない
田舎の県立大学を出て、横浜の土木系の会社に就職。しばらく社員寮にいたが、憧れの港区へ引っ越した。東京カレンダーは僕のバイブルだ。港区在住のモテる男をめざし、下心いっぱいでマッチングアプリに精を出したが、そう簡単にはいかない。
東京を知れば知るほど、東京が遠くに感じる。東京のど真ん中に住んでいたって、お金とセンスがない僕のような人間にとって東京は生きづらい街だ。
部屋からは首都高が見えるだけで、東京タワーは永遠に見えない。
カッパを見たことがあるんです
私の実家は桃農家だ。子どものころから農業以外の仕事をしている家がうらやましかった。ゴルフ場以外に何もない地元のことも私は好きではない。
子どものころ友達の家に遊びに行くとき、手土産に桃を持っていくのが憂鬱だった。一度途中で桃の袋を捨てたことがある。そのときは近所の人に見つかってひどく怒られた。
また手土産に桃を持たされたときは橋の上から川に捨てた。その瞬間、カッパが川の真ん中から顔を出して、私のことを責めるように見つめた。
再び桃を持って行けと言われたとき、私は強く拒否した。その日を境に祖母は急に元気がなくなり、数年後寝たきりになり、やがて死んだ。死んだ祖母の顔が、あのときのカッパにそっくりだった。
高校を卒業し、逃げるように東京に出てきた。ガールズバーでバイトをした。親しくなったお客さんに誘われ、マルチ商法の情報商材を売る手伝いをした。お金ができたので憧れの麻布十番に引っ越した。飲み会の帰りタクシーを降りたとき、古川の水面にカッパを見た。カッパは、東京にしがみつくためにウソをつき人をだます私を責めるようにじっと私のことを見た。
東京クソ街図鑑
僕は新丸子に8年住んでいる。新丸子に住むきっかけは友達の助言だ。どこに住もうか相談したところ、麻布十番も広尾も、中目黒も代々木上原も、三軒茶屋も学芸大学も、高円寺も根津も清澄白河も僕には合わないという。彼が言うには僕のような人間は東京に住まないほうがいいそうだ。多摩川を渡って川崎市の新丸子あたりがちょうどいいと。
部屋からは武蔵小杉のタワマンが見える。この部屋にこんなに長くいるつもりはなかったが、いつまでたっても貯金ができないのだから仕方がない。
隣の部屋には慶應の学生が住んでいる。30歳にもなって学生と同じ家賃のところにしか住めない自分の人生を呪う。
すべてをお話します
(僕の本が出版された際の謝辞の形で、本の内容=僕の内面が語られる)
いつもお前にムカついていたよ。いい大学を出たから何だ。指定校推薦のくせによ。タワマンに住んでいるから何だ。潮臭い芝浦ごときでドヤり倒しやがってよ。お前が偉そうに着ているそのブランド物の上着はメルカリで安く買ったものだとおれは知っているよ。
お前は馬だ。
お前はこの東京を自由に駆けているようで、実のところ鞭打たれながら決められたコースを競わされているかわいそうな馬だ。
おれは特等席から、お前たちが息切らせて走るのを、幸せに向かって走っているはずが摩耗し不幸になってゆくのを、じっと見ている。
(出典:この部屋から東京タワーは永遠に見えない「すべてお話しします」(麻布競馬場著))
以上、20作品のあらすじ&主人公の紹介でした。
主人公はみんな人生の負け組?
『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』は東京を舞台に、地方から上京した人達の物語です。
おもなテーマ
✅故郷の虚しさ
✅故郷を蔑む気持ち
✅自虐
✅劣等感
✅あきらめ
✅東京へのなじめなさ
✅東京に生まれた人たちへの羨望
ホリエモン大絶賛の本です。
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